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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)11007号 判決 1984年6月26日

原告

梁成一

右訴訟代理人

牧野内武人

渡辺千古

伊藤まゆ

小口恭道

寺崎昭義

佐々木恭三

古波倉正偉

松山正

金城睦

金城清子

被告

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

小野拓美

外三名

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

金岡昭

外四名

主文

1  被告国は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和四八年三月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告国に対するその余の請求及び被告東京都に対する請求はいずれもこれを棄却する。

3  訴訟費用中、原告と被告国との間に生じた分はこれを三分し、その二を被告国の負担とし、その余を原告の負担とし、原告と被告東京都との間に生じた分は全部原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求の原因1、2の事実及び3の事実中原告が警視庁警察官により本件火災直後から放火の嫌疑をかけられ取調べを受けていたことを除くその余の部分は、いずれも、各当事者間に争いがない。

二そこで、まず同4のうち(一)(捜査段階における不法行為)について検討する。

1  警察官について

警視庁西新井署長が本件火災後間もなく警視庁捜査第一課に本件捜査の応援を依頼し、これに基づき派遣された同課火災犯捜査担当の田口外一二名と西新井署員約三〇名を本件捜査に当たらせたことは、原告・被告東京都間(以下本項目では「当事者間」という。)に争いがないところ、原告は、右捜査に当たつた警察官の行為には違法なものがある旨主張するので、以下、順次検討することにする。

(一)  昭和三九年一二月一二日における、西新井署警察官による原告の取調べ

請求の原因4(一)(1)(ア)の事実中西新井署警察官が昭和三九年一二月一二日午前一時五〇分ごろ原告に対し西新井署への同行を求め同署において原告から事情を聴取したことは、当事者間に争いがない。また、<証拠>によれば、同事情聴取は長時間にわたり(終わつたのは、午後三時三〇分ごろであつた。)詳細な内容に及んでなされたことが認められる。しかしながら、本件全証拠によつても、右事情聴取が法の許容する限度を超え任意捜査に名をかりた人身の拘束であると認めるに足りる事実は認められない。かえつて<証拠>きよれば、捜査当局は、原告に対する右事情聴取の段階においては、本件火災の原因については放火、失火、自然発火(漏電等)のいずれの疑いもあり、なお不明であるとの見解に立つていたことが認められ、また、<証拠>によれば、同日作成された原告の司法警察員に対する面前調書は、いずれも、内容においても体裁においても、被疑者としてのそれではなくいわゆる参考人としてのそれであることが認められ、更に、前記のとおり事情聴取が長時間にわたり詳細になされたのは、<証拠>により認められるとおり、そのころには捜査当局は岡田さとから「午後一〇時三五分ごろ、本件路地を東海産業の方から腕組をして歩いて来る原告を見かけ、その直後本件火災を発見した。」旨の供述を得ており、同供述の真偽を確認する必要があつたこと、及び、前記のとおり本件火災の火元であり、かつ、焼失した本件建物が原告の所有に属するものであつたため、原告から事情を詳しく調査する必要があつたことによるものと考えるのが相当である。なお、原告は、右事情聴取に当つて、警察官は約一三時間原告に殆ど食事もとらせずまた一睡もさせず、帰宅を希望している原告を連続して取り調べた旨供述するけれども、これは前記の捜査当局の当時の見解等に照らしてにわかに措信し難い。もつとも、前記のとおり、原告は本件火災により妻子が負傷して入院したばかりかその一子は既に死亡しており、本件建物も焼失してしまつているので、原告が早く事情聴取を終えて帰して欲しいと考えこれを要求したこと、それにもかかわらず、「もうすぐ終わるから。」といつて応じてもらえなかつた旨の原告本人尋問中の供述は十分措信できる。しかしながら、この点も、前記の原告に対する事情聴取の必要性に照らせば、あながち不当なものということもできず、また原告も本件火災の火元責任者としての立場上、警察官の「もうすぐ終わるから。」という説得に応じて渋々ながらも協力したものと解するのが相当であつて、これをもつて違法な人身の拘束ということはできない。

(二)  本件放火容疑に基づく原告の逮捕

(1) 逮捕状の請求

請求の原因4(一)(1)(イ)(ⅰ)の事実中、森山が昭和三九年一二月二二日本件放火容疑につき原告の逮捕状を請求したことは当事者間に争いがないところ、原告は、逮捕状請求時において原告が本件放火をしたことを疑うに足りる相当な理由が存在していなかつたから、右逮捕状請求は違法である旨主張する。しかし、逮捕は被逮捕者の身体を拘束しその自由を制限するものであることから、法律上、現行犯人を逮捕する場合及び緊急逮捕をする場合を除き、裁判官の発する逮捕状によつてなすものとされ、裁判官は、被疑者が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由及び逮捕の必要性が認められる場合にのみ、逮捕状を発することとされているのである。ただ、前記逮捕の要件を具備していないのに、司法警察員がこれを知りながら、又は、不注意でこれをあると誤信して逮捕状を請求し、しかも、右請求に当つて裁判官に提供する資料の選択等を故意に操作したり過失により誤まつたりした結果、裁判官をして逮捕の要件があるものと誤信させて逮捕状を発布させ、かつ、現実にこれに基いて逮捕がなされたような場合には、逮捕状請求自体が違法となることは言うまでもない。そこで、本件についてこの点をみるに、全証拠によつても、森山が逮捕状請求に当つて逮捕の要件がないことを知つていたとか、或いは又裁判官に提供する資料の選択等を故意に操作したり過失により誤まつたりしたというような事実は認められず、したがつて、原告に対する不法行為を構成する違法行為はないと考えられる。

(2) 逮捕状の執行方法

請求の原因4(一)(1)(イ)(ⅱ)の事実中新里外二名が昭和三九年一二月二三日逮捕状を執行したこと、右執行は、右三名が白永化方に赴き原告を乗用車に乗せ警視庁捜査第一課に同行すべく出発した後、新里が逮捕状を示し被疑事実を読み聞かせて逮捕するという態様で行われたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、新里が右のような態様で逮捕状を執行したのは、家族の面前で逮捕状を執行するのは道義上好ましくないとの判断に基づくものであることが認められ、<証拠>によれば、正式に逮捕状が執行されたのは同日午前一一時三〇分、警視庁捜査第一課においてであることが認められるのであるから、<証拠>によれば、原告が家族と食事をしていた時新里らがやつて来て、「現場でちよつと調べることがあるから来てくれ。」と言つたため、原告は渋々自動車に乗つたことが認められるものの、これをもつて右逮捕状執行の方法を違法視することは到底できない。

(三)  放火容疑による身柄拘束中の取調べの態様と方法

請求の原因4(一)(1)(ウ)の事実中原告が昭和三九年一二月二三日から翌四〇年一月一三日までの間警視庁に拘置されていたこと、警察官らが地下の狭い取調べ室で原告を取り調べたこと、右取調べがほぼ連日であつたこと、原告を丸い椅子に座らせたことがあること、昭和四〇年一月一〇日ごろから原告が下痢をしこれを訴えたことは当事者間に争いがないが、その余の事実は本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。この点に関する原告本人尋問中の供述は、後記認定のとおり原告の弁護人である弁護士が昭和三九年一二月二八日、翌四〇年一月三日、八日、一三日の四回にわたり原告と接見しているところ、<証拠>によれば、弁護人から取調べ方法についての異議は特に申し出られず、また、その間家族からの差し入れも殆ど連日のようにあつたことが認められること、及び<証拠>に照らすと、にわかに措信することができない。そればかりか、<証拠>によれば、警視庁の取調べ室では、座るところがドーナツ状になつておりスポンジようの物が入つているビニール製の椅子が被疑者用として一般に使用されており、当初は原告にもこれを使用させていたが、取調べが始まつて二、三日たつた一二月二六日か二七日ごろ、原告が右椅子では尻が痛いと言つたので、留置管理事務所から背もたれ付の折り畳みの椅子を持つて来てこれと取り替えたこと、警視庁には留置場専門の医師がおり、被疑者は定期的に又は希望により必要に応じ同医師の診察を受け、取調べに差し支えがないとの診断があつた場合のみ取調べを受けるシステムになつているところ、原告もこれと同様に右医師の診察を受け取調べに差し支えがないという診断結果を得て取調べを受けていることが認められるのである。そうすると、昭和三九年一二月二三日から翌四〇年一月一三日までの本件放火容疑による身柄拘束中の取調べの態様と方法をもつて、原告を肉体的にも精神的にも限界状況に陥れた違法なものとすることはできない。

(四)  別件逮捕と別件勾留中の取調べ

請求の原因4(一)(1)(エ)の事実中昭和四〇年一月一三日本件放火容疑についての勾留期間が満了し、検察官が同日原告を釈放したこと、森山が同日本件横領容疑による原告の逮捕状を請求し、発布された逮捕状を執行したこと、同月一五日東京地方検察庁検察官に送致したこと、検察官の請求により東京拘置所を勾留場所とする勾留状が発せられて同所に勾留されていた原告が同月二四日釈放されるまでの間、検察官が本件横領容疑についてのみでなく本件捜査も行なつたことは当事者間に争いがない。

そこで、まず、右逮捕が違法であるか否かを検討すると、前記のとおりこれは裁判官により発布された逮捕状に基づいてなされたものであり、本件全証拠によつても警察官が逮捕状請求にあたつて裁判官に提供する資料の選択等を故意に操作したり過失により誤まつたりした事実は認められず、また、前記のとおり同逮捕状の執行はこれを請求し発布を受けた当日になされており、本件全証拠によつても、右請求・発布時と執行時において犯罪の嫌疑と逮捕の必要性の程度に差が生じたとの事実は認められないから、右逮捕状の請求及び執行はいずれも違法ではないと解するのが相当である。更に、<証拠>によれば、現に右逮捕中、本件横領容疑についての捜査をしていることが認められ、右逮捕の継続も、これを違法とするいわれはない。

また、本件横領容疑による勾留中の取調べについても、<証拠>によれば、右期間中警察官が原告を取り調べたのは一回か二回であること、同取調べは本件横領容疑についてのものであつたこと、しかも原告に対する心理的影響を考え、右取調べには、本件放火容疑について原告の取調べを担当していた海東以外の者が当たつたことが認められ、また、<証拠>によれば、前記期間中警察官がなした原告の取調べ以外の捜査は、本件放火容疑、本件横領容疑の両方に及んでいることが認められるが、前者についての捜査はいずれも原告の本件横領容疑による身柄拘束を奇貨としてなされたと解すべき点は認められず、結局これらの取調べも違法とは到底いえない。

(五)  以上の次第であるから、原告の被告東京都に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

2  検察官について

(一)  本件放火容疑に基づく勾留請求

請求の原因4(一)(2)(ア)の事実中伊藤が昭和三九年一二月二五日本件放火容疑につき勾留請求をしたことは原告と被告国との間(以下、本項目では「当事者間」という。)に争いがないところ、原告は、右請求時において原告が本件放火をしたことを疑うに足りる相当な理由が存在していなかつたから右請求は違法である旨主張する。

そこで、以下、本件勾留請求にあたつて原告が本件放火容疑の犯罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由が存在していたかを検討することにする。

<証拠>によれば本件火災が放火によるものである疑いが濃厚であることが認められるところ、<証拠>により明らかなとおり、原告とかねて顔見知りの岡田さとが「午後一〇時三五分ごろ、熊谷材木店前路上で原告が東海産業の方から腕組をして歩いて来るのを見た。」旨供述しており、右供述は、<証拠>に照らせば、同女がその認識及び記憶に反することを述べたものとは考えられないことが認められ、また、<証拠>により明らかなとおり、原告とかねてから交際の深い高智博が「本件火災の現場に向かう消防自動車のサイレンが相当聞こえるので、弟のことが心配になり自転車で出かけ、別紙第二図面①の地点まで来たところ、関原通りの方から歩いて来た原告と出会つた。そこで、原告に対し、『火事はどこですか。』と聞いたが、原告ははつきりとは何も言わず通りすがつてしまつた。そのため、自分は消防車の走る方向に行つてみた。」旨供述しているのに対し、<証拠>によれば、原告もまた同所で高智博と会つたことは認め、ただ、<証拠>によれば「サイレンの音で目を覚まし、どこかで火事だと思い飛び出し、四、五〇メートル走つたところ子供用のサンダルを履いているのに気付き、短靴に履き替えるため急いで白永化方に戻つた。」旨、<証拠>によれば「サイレンの音で目を覚まし、玄関から女物のヘップサンダルを履いて表に出、別紙第二図面③の地点で火事を見ていると、高山が来て『どの辺が火事か』と聞いたので『消防車は新道の方に行つている』と答え、その後白永化方へ戻り短靴に履きかえて再び表に出た。」旨、<証拠>によれば「サイレンの音で目を覚まし、すぐスプリングコートを持ちサンダルを履いて白永化方を出た。十分位歩いたがよく歩けないので白永化方に戻り短靴に履き替えようとして戻つてきた時、高山に会つた。」旨説明しており、右説明は、いずれも本件火災発生後まもなくなされた説明であるにもかかわらず重要な点に食い違いがみられ、また、その内容自体も、サイレンの音に気付いただけで自分の短靴を履く余裕もなく家人にも告げずあわててサイレンの音の方に走つたというのは不自然さを否めないこと、更に、<証拠>を総合すると、原告が代表取締役をしていた東海産業は、本件火災当時経営不振で著しく資金繰りに窮し、銀行取引を停止されたり、再三の督促にもかかわらず電気料金を支払うことができなかつたため、二度に亘つて送電を停止されるような状況にあつたこと、原告個人も同様に資金繰りに窮し、昭和三九年一二月二〇日ころまでに借受保証金四〇〇万円を弁済しないと既に担保のために所有権移転登記を経由している本件建物とその敷地の所有権を喪失することになつているところ、同弁済の見通しが全く立つていないこと等の状況にあつたことが認められ、更に、<証拠>によれば、原告は、昭和三九年二月二六日、日本火災海上保険株式会社との間で、本件建物及びその内部の機械等に、一年間の契約で、合計一八八〇万円の火災保険をかけていたことが認められ、<証拠>によれば、通常は本件建物内の手提金庫内に保管されていた原告の実印が、本件火災に先立ち原告により持ち出されたことが認められるところ、本件火災当時の原告のアリバイに関しても、<証拠>によれば、原告は、「白永化方ベッドで眠つていた時、本件火災のサイレンを聞いた。その時、白永化は、台所で米をといでいたか茶碗を洗つたかしていた。」旨供述しているのに対し、<証拠>によれば、白永化は、当初は、「自宅で眠つている時、本件火災のサイレンを聞いた。自分は二階へ様子を見に行つたが、原告はずつと横になつていた。少しして、金成起の妻から本件建物が危い旨の電話連絡があつたので、原告を起こしてその旨話すと原告はすぐに出かけた。」旨供述し、次いで、「自宅で眠つている時、本件火災のサイレンが激しく鳴つているのに気付いたが、その時原告は既にベッドにはいなかつた。」旨供述するようになり、白永化自身の供述内容自体においても、両名間の供述内容の比較においても重要な点で食い違いが認められたこと等を総合すると、前記放火を原告がした疑いもまた濃厚であつたことが認められ、よつて、本件放火容疑についての右勾留請求は、罪を犯したと疑うに足りる相当な理由に裏づけられたものということができる。

(二)  別件逮捕の指示及び別件勾留

請求の原因4(一)(2)(イ)の事実中本件放火容疑による勾留期間が昭和四〇年一月一三日に満了したこと、同日森山が本件横領容疑により原告の逮捕状を請求しその発布を得てこれを執行したこと、伊藤が同月一五日同容疑につき勾留請求をし、同請求に基づき発せられた勾留状を翌一六日執行し、同月二四日釈放するまでの間原告の身柄を拘束したこと、右勾留期間中本件捜査もしたことは当事者間に争いがなく、また<証拠>によれば、伊藤が捜査法上の指揮権限に基づいて警察に対して右逮捕状の請求及び執行を指示したとの事実が認められるが、<証拠>によれば、右逮捕状の請求・執行は西新井署が自らなした検討に基づいて下した判断に従つてなされたものであることが認められ、本件全証拠によつても伊藤が森山をしてこれをなさしめたとの事実を認めることはできないし、また、そもそも既に前記1(四)で検討したとおり、森山による右請求・執行自体違法なものと認めることができないのであるから、原告の別件逮捕の指示に関する主張は理由がない。

また、伊藤が本件横領容疑につき勾留請求をし、これに基づき発せられた勾留状を執行したことについても、原告は、これらは専ら本件捜査のために原告の身柄拘束状態を利用する目的でなされたもので、起訴前の被疑者の身柄拘束につき厳格な時間的制約を定めた刑事訴訟法二〇三条以下の規定を潜脱する違法なものであると主張する。前記のとおり、右勾留請求の時点において本件放火容疑についての原告の勾留は延長を経て刑事訴訟法の許容する最大限を尽くされており、検察官としては、もはや同容疑については令状の発布を受けて勾留することができないわけであるが、一方において、逮捕・勾留中の被疑者を当該逮捕・勾留にかかる被疑事実以外の事実につき取調べることを禁止する法規は存しないことから、裁判所としては、その後なされた別事件についての勾留の請求及び執行が専ら本件捜査のためにその身柄拘束を利用する目的で、たまたま令状を請求し得るに足る証拠資料を収集し得たものの殆ど強制処分をする必要のない事件についてなされた場合に限り、これらは、刑事訴訟法の定める令状主義を潜脱する違法なものと解するのが相当であると考える。そこで、このような立場に立つて伊藤がなした本件横領容疑についての勾留請求・執行について検討するに、<証拠>によれば、原告が同罪を犯したと疑うに足りる相当な理由はあつたものと認められるし、<証拠>によれば、事件関係者の中には原告と密接な関係を有する者も多く、また椎熊という共犯者もおり、しかも複雑な取引関係の中において敢行された犯罪で、被害額も昭和三九年当時の約五〇万円に及ぶことが認められ、更に、前掲丙第一〇六号証によれば、原告は横領の故意につき否認の態度をとつていたことが認められ、これらの事実を総合すると、本件横領容疑については訴追してその刑責を問う必要の否定できない事案に属し、原告がその罪証を湮滅すると疑うに足りる理由及び逃走すると疑うに足りる相当な理由も認められ、本件全証拠によつても、これらが専ら本件捜査のためになされたとの事実は認められないから、右請求及び執行をもつて違法とするいわれはない。なお、前記のとおり、本件横領容疑については、昭和四〇年三月二九日不起訴処分がなされているが、これは、<証拠>によれば、原告の身柄釈放後の昭和四〇年一月三〇日、原告等と被害者である吉田電線株式会社との間に示談が成立した上、諸般の事情を比較衡量した結果、本件起訴をしてその罪責を問えば検察の目的を達し得るとの結論に達したからであることが認められるから、右不起訴処分がなされたとの事実は前記認定を左右するに足りない。

よつて、この点に関する原告の主張は被告国の抗弁について判断するまでもなく理由がない。

(三)  接見禁止

請求の原因4(一)(2)(ウ)の事実中伊藤が昭和三九年一二月二五日本件放火容疑による勾留状を執行するとともに接見等に関する一般指定の措置をとつたこと、弁護人の接見要求に対し「取調べ中である。」と述べたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、同措置の期間中原告の弁護人が原告に接見したのは(1)昭和三九年一二月二八日午後三時から午後三時二〇分ごろまでの間、古波倉、松山両弁護人によるもの、(2)昭和四〇年一月三日午後一時四六分から午後二時六分までの間、牧野内弁護人によるもの、(3)同月八日午後一時四五分から午後二時までの間、古波倉、松山両弁護人によるもの、(4)同月一三日午後一時三〇分から午後一日四〇分までの間、牧野内、古波倉両弁護人によるものの四回であることが認められる。また、<証拠>によれば、伊藤は、当該放火事件については、捜査上の必要からできる限り原告と接見してもらいたくないと考えていたこと、昭和三九年一二月三〇日か三一日に原告の弁護人から電話で接見の許可希望が述べられたのに対し、年内は無理だから翌年一月一日に会つてくれと言い、弁護人が自分の都合では一日は無理だということで三日についての許可を得、右(2)の接見に至つたことが認められる。そこで、右事実を前提として検討するに、伊藤は捜査上の必要から接見を本来好ましく考えておらず、現になされた接見も原告及びその弁護人の希望に十分合致するものではなかつた点は否定できないものの、本件捜査の経過、罪質及び現になされた接見の程度に照らすと、本件全証拠によつても、これが「捜査のため必要があるとき」(刑事訴訟法三九条三項)の名のもとに原告の秘密交通・防禦権を違法に侵害したものであるとまで認めることはできないと解するのが相当である。

(四)  本件起訴

被告人は、本来、「有罪の判決があるまでは無罪と推定される」とはいえ、現実に、我が国では起訴されたことそれ自体で既に有罪判決を受けた場合に近いような社会的評価を受け、そのことによつて被る被告人の有形・無形の不利益は大きく、法律上の不利益処分を受けることもあるから、検察官による公訴の提起は、一応の証拠に基づく主観的な嫌疑のみに基づいてはなされるべきではないものと言わなければならない。しかしながら、一方において、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないことから、必ず有罪判決が得られるという客観的確信の存在までは必要ではない。結局、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により、判決において有罪と認められる嫌疑が存在する場合にのみなされるべきであり、それで足りると考えるべきである。即ち、言いかえれば、右の程度の犯罪の嫌疑が存在する場合に限つて起訴するのが、検察官の職務上の義務であり、証拠の証明力の評価の仕方について通常考えられる個人差を考慮に入れても有罪の判断が行きすぎで、経験則・論理則からしてその合理性を肯定できない場合には、かかる公訴の提起・維持は違法となると解するのが相当である。

原告は、かかる意味で本件起訴は違法である旨主張するので、以下具体的に検討することにする。

(1) 本件火災が、昭和三九年一二月一一日午後一〇時三三分ごろ、人為により、本件建物西側階段付近から出火したとして起訴した点について

<証拠>により認められるとおり、刑事第一審判決は、本件火災の出火が昭和三九年一二月一一日午後一〇時三三分ごろであることについては、<証拠>により、右出火場所が本件建物西側階段下付近であることについては、<証拠>により、右出火が漏電、煙草火等の不始末等の原因によるものではなく人為(放火)によるものであることについては、<証拠>により、これらを各認定しており、また、<証拠>によれば、刑事第二審判決もこの点について特に異論を唱えていないことが認められる。これらの認定根拠となつた証拠のうち、公判廷における証人の供述部分については、<証拠>により認められるとおり、本件起訴までに、その内容においてこれらとほぼ同一の証拠が収集されていることが認められ、また、前記刑事第一審判決の示した証拠のうち本件起訴後に作成されている乙第一七号証についても、同号証によつて明らかなとおり、これは警視庁科学検査所が昭和三九年一二月一二日にした本件火災現場調査に基づいてなした鑑定の結果回答書であるところ、<証拠>によれば、その内容は本件起訴の段階で伊藤に把握されており、正式な書面として後日作成されることが確実であつたとの事情が認められる。したがつて、これらの事実を総合すると、本件起訴時における証拠によれば、判決において「本件火災が、昭和三九年一二月一一日午後一〇時三三分ごろ、人為により、本件建物西側階段下付近から出火した。」と認められる嫌疑は十分存在していたと考えるのが相当であり、本件全証拠によつても、かかる程度の嫌疑がなかつたとは到底認められない。

(2) 右放火が本件建物西側階段下付近に積んであつたセメント袋大の紙袋約三〇枚に点火するという態様でなされたことについて

<証拠>によれば、刑事第二審判決は、この点につき「何らの証拠も存在しない」と述べており、本件全証拠によつてもこれを直接に立証する証拠があつたことは認められないが、<証拠>によれば、本件火災発生当時本件建物西側階段下に空紙袋約三〇枚が積まれていたことが認められ、同事実と、既に認定したとおり本件火災が放火により本件建物西側階段下付近から出火したと認められる嫌疑は十分存在していたことを併せ考えれば、同空袋に点火されたと判断することが経験則に反するものとは言えず、本件起訴時における証拠によつても、判決においてかかる認定がされる嫌疑が存在していなかつたとまでは認められない。なお、原告は、伊藤が本件起訴に当つてこの点に関し既に収集していた前掲乙第一八号証(点火方法に関する実験の報告書)について、第一に、同書で報告されている実験は、本件建物西側階段下とは全く条件の異なる風の強い荒川放水路河原で、高さ七五センチメートルのボール箱二個を一メートルの間隔に置きその中央に紙袋三〇枚を乱雑に積み、紙袋に煙草用小箱マッチで点火するという態様で行われたものであつて非科学的なものであるから、その結論を本件火災について置きかえることはできないとの批判を、第二に、同号証と<証拠>を総合すると、むしろ、階段下に積まれていた空紙袋に点火されても本件建物にまで着火し燃え移ることは不可能である旨の主張を、それぞれしている。<証拠>によれば、同実験のうちマッチで点火するそれについては、これにより火のついた紙が周辺の人家に飛んで火災となる危険があるということを慮つて河原でなしたこと、紙袋は本件建物の中に積まれていたものと同種のものを使用したが、同じく本件建物にあつたコンパウンド等の材料を集めるといつた方法をとると費用がかかりすぎることから代用品としてダンボール箱を利用してなされたこと、こうして結果的に本件建物西側階段下とは大きく条件の異なる状況でなされていることが認められ、また、同じく、同実験結果としての炎の高さも人の身長を基準としての目測にすぎないこと、実験に利用した木片もダンボール箱も紙袋と共に焼燬し、右炎の高さは紙袋のみの燃焼によるものではないことも認められ、これらの事実を総合すれば、原告主張のとおり、同実験の結論を本件火災の場合に置きかえることはできないと考えるのが相当であるが、また同様の理由により、同実験結果を資料として、階段下に積まれていた空紙袋に点火されても本件建物にまで着火し燃え移ることは困難であるという結論を導くこともできないと考えるのが相当であつて、結局、伊藤が本件起訴に当つて乙第一八号証を収集していたことは前記認定を左右しないのである。既に認定したとおり、原告は放火の事実を終始否認し、本件建物は本件火災により全て焼失しているため、前記(1)の事実と後記(3)の事実についてこれが認定されれば点火の具体的態様自体は判決においても前記証拠程度でこれが認定されると考えるのは相当であろう。

(3) 本件火災の原因となつた放火行為をしたのが原告であるということについて

(ア) 伊藤が本件起訴に当り、放火行為をしたのは原告であると認定する判決を得られるであろうと判断した理由が、請求の原因4(二)(イ)(1)(あ)ないし(さ)にあることは当事者間に争いがない。しかしながら、現実には、<証拠>によれば、刑事第一審判決は「原告の犯行ではないかと疑わしめる数々の事実が存するにも拘らず未だ合理的疑を容れぬ心証を形成するには至らない。」として無罪を、<証拠>によれば、刑事第二審判決は、「放火した事実はないとの原告の弁解が、関係の全証拠にてらしてきわめて自然に、しかもほぼ確実に認められ、これによつて本件事案の真相が解明されたものといわなければならない。」としたうえ、「本件公訴事実は犯罪の証明がないことが明らかである。」として控訴棄却をそれぞれ言い渡したことが認められる。そこで、本件起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的判断過程により判決においてこれを認められる程度の嫌疑があつたか否かにつき、より具体的に検討することにする。

(イ)(1)(あ) 動機について

東海産業が昭和三九年八月以降七一件、額面合計七六一万四六六一円に達する手形の不渡りを繰り返し、取引銀行であつた協和銀行足立支店とは同年九月八日以降取引がなく、同年一〇月二八日には東海銀行上野支店にも取引を停止されたこと、同年二月からは工場に用いる電力の代金を滞納するようになり、これを理由に送電停止の措置をとられる寸前に一か月分だけ支払うという状態が続いていたところ、遂に、再三の督促を受けたにも拘らず一〇月分と一一月分の電力代金合計一八万七四二六円の資金繰りができず、同年一一月二七日送電停止の措置を受け、翌二八日、既に取引のなかつた協和銀行足立支店を支払場所とする同額を額面とする約束手形を振り出してこれを支払い同措置を解除してもらつたものの、同月三〇日その支払に充てるべく国兼刑部から借り受けた二〇万円を、他の緊急を要する借金の支払に充てたため結局同手形は不渡りとなり、その結果、同年一二月三日再度送電停止の措置を受けて休業状態に陥り、やむをえず同月八日国兼刑部から再度借金をし、これによつて右代金を何とか支払い、ようやく送電停止を解除してもらうという有様であつたこと、従業員の給料についても一一月分の給料を支払約定日である一二月五日に支給することができず、従業員との間でこれを本件火災当日、ボーナスと共に支給する約束となつていたが、結局支給できなかつたことは、いずれも当事者間に争いがなく、また、<証拠>によれば、本件起訴時においても同事実は認められ、これらの事実と<証拠>によれば、本件火災当時東海産業は経済的窮迫状態に陥つており、これについての具体的打開策ももち合わせていなかつたことが認められる。この点につき、原告は、東海産業の経営は順調にのびていたところ、椎熊が多額の横領をしたため、昭和三九年一一月末から一二月初めにかけて一時的に経営困難に陥り、その結果右送電停止措置を受けたり、従業員の給料を払えないという事態になつたが、原告においては椎熊を追及することでこの困難はすぐ取り除けると考えていた旨主張する。そこで判断すると、<証拠>中東海産業の受注状況及び売上げ額に関する部分、人件費、家賃等の経費に関する部分は、<証拠>に照らすとにわかに措信し難いところがあり、これらの証拠によれば、電気料の支払遅滞や従業員の給料の未払の直接の原因は椎熊の横領行為であることが認められるが、<証拠>によれば、原告は右横領の事実を遅くとも一一月末には気付いていたことが認められるところ、それにもかかわらずその後において前記電気料の遅滞、送電停止措置や従業員の給与の未払の事態に直面しているのであり、したがつて、これらの事実によれば、東海産業が本件火災当時陥つていた経済的困難は、原告が椎熊を追及してもすぐに取り除けるというものではなく、原告がかかる方法ですぐに取り除けると考えていたと認めることはできないと解するのが相当である。

また、原告が、本件火災当時請求の原因4(二)(イ)(1)(あ)①(a)ないし(d)、(f)ないし(j)の債務を負担していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば同(b)の、<証拠>によれば同(k)の、<証拠>によれば同(1)の、<証拠>によれば同(m)の各債権も負担していたことが認められ、また<証拠>によれば同(a)の債務中一〇万円が、<証拠>によれば同(b)の債務中六万円が、<証拠>によれば同(d)の債務の全部が、<証拠>によれば同(j)の債務中一八万六〇〇〇円が、<証拠>によれば同(m)の債務の全部が、<証拠>によれば同(k)の債務の全部が、<証拠>によれば同(1)の債務の全部が、それぞれ、本件火災当時現に遅滞中であつたことが認められ、これらの事実と、<証拠>により認められる同(j)の債務の弁済期は昭和三九年一二月二〇日であり、同債務の弁済確保のため本件建物及びその敷地につき代物弁済として既に呉泰淳に所有権移転登記がなされているとの事実、更に、既に認定したとおり、現に東海産業に関するものについても個人として債務者になつている原告が前記滞納電気代を代位弁済できなかつた事実、右各証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、原告個人もまた東海産業と同様、本件火災当時経済的窮迫状態に陥つており、支払の猶予を個人的に懇願する以外に具体的打開策をもち合わせていなかつたことが認められる。

また、本件火災によつて焼失した本件建物及びその内部の機械等に原告が本件火災当時合計一八八〇万円の火災保険をかけていたことは当事者間に争いがなかつたところ、<証拠>によれば、本件保険金額は被保険物の実際の価値を超えたいわゆる超過保険とはいえないことが認められる。

そこで、以上認定した事実を総合的に勘案して、原告が本件公訴事実にいう放火行為(以下「本件放火」という)を行う動機があつたと認めたのが相当であるか否かを検討するに、原告には本件建物に放火をする一般的な動機があつたと認めることが相当でなかつたとは解せられない(なお、原告は、原告は東海産業において単なる工員的存在でしかなかつたから東海産業が経済的窮迫状態に陥つていたことは本件建物への放火の動機とはなりえない旨主張するが、<証拠>及び既に認定したとおり原告が東海産業に関する多くの債務を個人的に負担している事実等によれば、原告は椎熊と共に東海産業を経営していたものであつて、到底単なる工員的存在であつたと認めることはできないから、右主張は理由がなく、また、本件火災保険についても、原告から積極的に加入を申し入れたものではなく超過保険でもないから、本件火災保険の存在は本件建物への放火の動機となりえない旨主張するが、既に認定したとおり、伊藤は保険契約当初から原告が保険金目当ての放火を企図していたと認定したのではなく、保険契約を締結していたことを奇貨として本件犯行をなしたと認定しているのであるから、同契約締結の経緯は直接には関係がなく、超過保険ではないという点も、確かに超過保険である場合にはより強く放火の動機の存在を推認させはするが、経済的窮状に追い込まれている者にとつて、売却できれば一応の金銭に換わり得る資産を有していることと直ちに利用できる金銭を有することは別問題であることも経験則上認められることから、これをもつて本件火災保険契約の存在は本件建物への放火の動機となり得ないとすることはできない。<証拠>により認められるとおり、刑事第一審判決も、原告は、「当時東海産業の経営に苦しんでいたと解する外ない。」と認定したうえ、「従つて、その経営難を苦にして保険金入手のための放火を決意したと想定することはあながち不当とはいえないのである。」と判示しているところである。)が、一方、前記認定のとおり、本件火災時本件建物二階には原告の多数の家族や従業員が就寝しており、しかも本件放火が二階からの脱出口として最も重要な階段の下に放火したものであるというその具体的な態様に照らすと、本件放火を行う動機は、前記認定の事実のみでは必ずしも決定的なものとは認められないと言わざるを得ない。

(い) 放火の事前相談について

請求の原因4(二)(イ)(1)(い)の事実中原告が昭和三九年一二月二日金成起及び青鹿と、本件建物に放火すれば保険金が入る旨話したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、右話がなされた経緯及びその話の具体的内容は次のとおりであつたことが認められる。

昭和三九年一二月二日午後三時ごろ、東海産業の下請をしていた興栃化成株式会社の青鹿と金成起が、偶然、相前後して下請代金約一四万円の請求のため本件工場に赴いたところ、原告は不在であつた。そこで、両名が本件建物二階の居間でその帰りを待つていると、大分経つて、当日手持ちの手形を割り引いてもらうため会う予定であつた月本節三に会うことができなかつた原告が帰宅したため、両名において右下請代金の請求をしたところ、原告は、「どうも椎熊が横領しているらしい。仕事はしているのだが、金が入つて来ないのだ。支払の方は、今椎熊が居ないので判らない。」と答え、支払の猶予を求めるのみであつた。そこで両名はその場で弁済を受けることを諦め、原告と世間話を始めた。世間話をしている間にも、しばしば他から電話で原告宛に支払の督促があり、これに対し、原告は居留守を使い、代わりに金成起が応待する等していたが、午後八時一五分ごろになつて、お互いに金に困つている等の話から、青鹿が、「栃木の方で借金に苦しみ倒産寸前であつた工場主が、保険をかけてあつた工場が火災で焼失した結果保険金を受け取り、これで借金を返したうえ工場を再建し、現在はのうのうと暮らしている例がある。誰か俺の工場に火を付けてくれないか。」と言い出した。右青鹿の言に、金成起が「保険金はいくらだ。いくらくれる。」と聞くと、青鹿は、「今は一五〇万円しか入つていないが、一二〇〇万円もかけ、それが全部貰えれば二〇〇万円位はやるよ。」と答えた。これに対し、金成起は、「それつぽつちの金では嫌だ。でも、興栃化成のビニール工場なら、田圃の中で他人に迷惑をかけることもなくていいな。」と言つたため、青鹿が「ビニール工場は燃えるものがないので火事にはならぬ。」と言うと、金成起が「ガソリンでもかければ燃えるんではないか。臭いは残るのだろうか。」と聞き、青鹿は、「燃えるだろうし、燃えてしまえば臭いは判らないよ。」と答えた。すると、金成起は、「原告の工場もガソリンをかければ焼けるね。」と言つたため、青鹿が「こんな所を焼けば近所は大変だ。」と注意すると、更に金成起が「近所に迷惑をかけたらどうなるのか。」と尋ねてきたため、青鹿は「弁償する義務はないとか耳にするが、保険金でも多額に貰えば多少やらなければならないだろう。」と答えた。すると、金成起は、今度は、原告に対し、「この工場をやりますか。」と言つたところ、原告が、「それじやあ、あんたやれ。」と言つたため、金成起は、近くにテレビを見て座つていた東海産業の従業員である菅原忠に対し、「一〇万でも二〇万でもやるから黙つていろよ。」と言い、次いで、原告が「この人は何の話をしても大丈夫だ。他人に言う人ではない。うちは保険に入つている金も少ないから火をつけたら損をするよ。」と言い、午後八時二五分ごろ、その話は終了した。その後、右三名は密輸したら金が儲かる等の雑談を少々し、夕食の為に外出した。なお、右三名が話をしている部屋の中には、三名の他前記菅原忠がテレビを見ており、大沢チサも何度か出入りした。

ところで、<証拠>により認められるとおり、検察官においては、原告は右話合いによつて本件建物への放火を決意し以後その時期と方法を考策していたと認定して本件起訴をなしたものであるが、原告ら三名の右話合いは相当詳細に亘り、しかもその場の雰囲気は、原告が主張するような明らかな冗談とか一時の座興とかいう類のものではなかつたことも十分窺える(この点は、<証拠>によつても裏付けられる)ところからすれば、右話合いによつて、経済的窮地の打開策の一つとして本件建物に放火するという手段もあるということが原告の脳裡をかすめたであろうということまでは推認するに難くないが、それ以上に、右検察官がなしたような認定をするのはいささか無理があると言わざるを得ず、まして裁判官が右と同様の認定をするというが如きことは殆ど期待できないと解するのが相当であろう。

(う) 放火の準備について

請求の原因4(二)(イ)(1)(う)の事実中原告が昭和三九年一二月八日小林茂春をして空紙袋約三〇枚を本件西側階段下に投げ積ませたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、通常、本件建物内の空紙袋の整理作業は小林茂春の担当で、屑屋に空紙袋を持つて行つてもらう場合には本件建物内のレジンの倉庫の中に整頓して積んでいたこと、昭和三九年一二月八日は小林茂春が空紙袋をいつも通り片付けようとしたところ、原告が「おじさん、そつちへ投げてもいいよ。屑屋が来るから。」と二度にわたり本件西側階段下を示して言つたため、右小林は逆らうこともないと考えこれに従つたことが認められる。

<証拠>により認められるとおり、検察官は、これをもつて、右(い)で検討した話合いによつて形成された放火の決意に基づく放火の準備行為と認定し、同行為をもつて放火の準備は完了し後は点火の時期を選ぶのみとなつたとして本件起訴をなしたが、そもそも前記のとおり、右時点で既に原告は放火を決意していたとの事実は認めることができないし、また本件放火が右空紙袋に点火するという態様でなされたとの前記嫌疑、右空紙袋は原告の二度にわたる指示により通常の整理場所と異なる本件建物西側階段下に積まれたという右事実を総合しても、<証拠>により認められるとおり、小林茂春は原告による右指示の理由につき、明確には把握できなかつたものの、第一に頭に浮かんだのは、当日は東海産業の従業員の結婚式だつたため、宴会で飲酒後通常より少ない人数で作業をしていたので自分の体力のことを考えて原告がそのように指示してくれたのかと想像している事情も存在しており、これをもつて直ちに放火の準備行為と認めることは困難であると解せられる。

(え) 岡田さとが本件火災発生直後の午後一〇時三五、六分ごろ、現場付近から立ち去ろうとする原告の姿を目撃している点について

岡田さとが司法警察員、検察官、起訴前の証人尋問をした裁判所に対して、本件火災発生直後の午後一〇時三五、六分ごろ、別紙第一図面①の地点において、現場付近から立ち去ろうとする原告の姿を同図面②の地点に目撃した旨を供述したこと、原告は司法警察員、検察官に対して、右出火時には白永化方におり出火直後現場近くで岡田さとに目撃されたことはない旨供述したことは、いずれも当事者間に争いがない。<証拠>によれば、この点につき検察官は岡田さとの供述を措信し、その供述内容に沿う事実を認定したうえ、これを最も重要な証拠の一つとして本件起訴をなしていることが明らかである。そこで、検察官が岡田さとの供述を措信しこれに沿い原告目撃という事実を認めたことの適否を検討することにする。

ところで、<証拠>によれば、岡田さとの供述では、同女が原告を目撃した時に同女の進行方向左隣りを歩いていた岡田八重子も、岡田さとの進行方向少し前を同方向に歩いていた大関一夫も、岡田さとが原告を目撃したという本件路地付近の人影に気付いていなかつたことが明らかである。しかし、<証拠>により認められるとおり、岡田八重子、大関一夫は共に、当時本件路地付近には人影はなかつた旨供述しているのではなく、岡田八重子においては通行上の位置関係から同所付近を見なかつたため、大関においては同所右上の煙ばかり見て目の高さ付近を見なかつたため、本件路地付近に当時人影があつたかどうか判らないというものであるから、これをもつて右岡田さとの供述を措信できないとすることはできない。

また、<証拠>によれば、本件火災を発見した地点についての岡田さとの供述が岡田八重子、大関一夫の供述のそれと食い違つていること、すなわち、岡田さとは、大関が「火事だ。」と叫んだのは別紙第一図面③の地点であり、その時自分は同図面④の地点にいたと供述しているところ、岡田八重子は、大関が「火事じやないか。」と言つた時自分達と大関の距離は二、三メートルであつたと供述し、大関一夫は、別紙第一図面⑤の地点で本件火災を発見し、同図面⑥の地点で「あれ、火事じやないか。」と言い、その時岡田さと達はほんの数歩後ろにいたと思うと供述していることが認められるが、<証拠>によれば岡田八重子は本件火災後一週間以上経つて供述調書を作成されていることからそもそも詳細な点を明確に記憶しているか疑問もあり、現に、岡田さととどのような位置で並んで歩いていたかにつき誤つた記憶をしているし、<証拠>によれば、大関一夫の前記供述の根拠は、とにかく広いところから煙を見たような記憶があるという一点であり、「火事じやないか。」と言つて初めて振り返つたというのであるからその際の岡田さと等との距離に関する記憶も正確な判断に基づくものかは若干の疑問もあるところ、<証拠>によれば、岡田さとは大関の声で火事だと気付くと走つて自宅まで行きすぐに夫である岡田信行に本件路地付近で原告を見たと報告し、岡田信行から知つていることだけ正直に言い憶測で喋らないようにとの指示を一応受けた後翌一二日、前記丙第三号証の供述を司法警察員に対ししていることが認められ、本件全証拠中本件起訴時までに収集された証拠によつても、岡田さとが原告に対し敵意や反感をいだいていたことを疑わしめるに足りる事実は認められず、また<証拠>によれば、岡田さとは「本件路地付近で原告を目撃する」という認識と、「大関の言で火事を知る」という認識を有したのであり、本件路地との関係での関係者の位置関係を認識しやすかつたと認められ、更に<証拠>によれば、本件路地越しに本件火災を発見するのが最も発見しやすい方法であるとは必ずしも言えないことが認められるので、右供述の相違点をもつて岡田さとの供述内容の証憑性が左右されることはないものと言うことができる。

そして、<証拠>によれば、当時本件路地付近は0.5ルックスの明るさがあり人物の識別は容易にできたとの事実が認められる。

しかしながら、<証拠>によれば、岡田さとは本件路地付近で目撃した原告と会話を交したわけでもなく、また、原告を目撃したのは火事に気付く前であつたから目撃した原告を必要以上に注視したことはないと考えるのが相当であり、更に、その後すぐに火事騒ぎになり多数の人間が同所付近に出廻つているはずであるのに同女のほかにはその頃前同所付近で原告を見かけた者がいないこと、原告が本件放火をしたということを前提にした場合、犯行直後の犯人の動静としては岡田さとの供述で指摘されている原告の行動は釈然としないものがあることなどに鑑みると、岡田さとの供述のみをもつて同女が本件路地で目撃した人物が原告であつたと認定することは、<証拠>を参照しても、躊躇せざるを得ないものが残ると言わなければならない。

なお、検察官は岡田さとの供述を渡辺の供述と相互に支持し合うものとして把握していたことが明らかであるが、次に検討するとおり、渡辺の供述もまたそのまま措信することができないものであるから、これにより岡田さとの供述の信用性は減じられこそすれ増すことはおよそあり得ないところである。

(お) 渡辺が本件火災発生後間もない午後一〇時四一、二分ごろ本件火災現場において原告を目撃している点について

本件火災現場で原告と渡辺が会つたのは当事者間に争いのない事実であるところ、検察官は、これが午後一〇時四一、二分ごろであつたと認定し、<証拠>により認められるとおり、同事実を、本件火災出火当時は白永化方に居たところサイレンの音で目を覚まし午後一一時ごろ本件火災現場に到着した旨の原告によるアリバイ主張を覆し、岡田さとが本件路地付近で見た人物が原告であることを裏付ける重要な事実として、本件起訴をなしているのである。そこで、検察官が本件火災現場で原告と渡辺とが会つた時刻を午後一〇時四一、二分ごろと認定したことの適否を検討することにする。

<証拠>によれば、渡辺の最初の供述は「忘年会から帰り眠つていたところを家人に火事だと呼び起こされ、着替えて家を飛び出し一分位で持田方まで駆けつけた。その際持田方は火の粉が入つて煙が吹き込んではいるもののまだ燃えておらず非常線も張られていなかつた。既にいた四、五名の者と共に、持田方屋内から荷物を持ち出すのを手伝い、斜め前の同人方倉庫の入口にこれを置いたところ、ようやく消防のホースが一本入つてきた。ところがなかなか水が出ず、自分が、岡田湯に燃え移ると大変だからこつちにかけた方が良い等と言つているうちにやつと水が出、これを持つて、消防士か町会の消防団の人かが二人で持田方の玄関へ入つて行つた。その後持田方玄関横付近でしばらく水をかけているのを見た後、持田方と岡田方の間の路地を入つて東海産業の火事を見ていた。路地の奥の方では、二、三人の者が岡田湯燃料貯蔵庫の方から引張つてきたホースで水をかけていた。すると、本件建物のベランダが落ちる前に原告から『子供はどうしたかね。』と声をかけられた。当時女の人の声で子供の名を呼ぶのが聞こえていたので、自分は、『逃げ遅れて中に居るんじやないか。』と答えた。その際の原告の服装は茶色つぽいジャンバーのようなものを上に着て、黒つぽいズボン、履物は靴かサンダル(ビニール)であつた。それから一、二分してドカンという爆発音を聞いた。その後、又、持田方倉庫付近に四、五分居て、非常線を張る手伝いをした。」というものであり、また、<証拠>によれば、渡辺が家から出かけたのは非常線の張られる前で爆発音がして停電する五分位前であること、<証拠>によれば、右停電があつたのは午後一〇時四三分であることがそれぞれ認められる。そして、本件全証拠中本件起訴までに収集された全証拠によつても、原告と渡辺は以前取引があり顔見知りという関係があるだけで、渡辺において虚偽供述をする必要性や理由を窺わせる事実は全く認められない。

しかしながら、<証拠>によつて、渡辺の供述を詳細に比較検討すると、「眠つていたところを家人に起こされ、持田方へ行き、持田方に水が放たれた後、持田方と岡田方の間の路地を入り本件建物付近へ行き、そこで火事を見ている時原告に声をかけられた。」との供述の骨子は一貫しているが、原告に声をかけられたのと前記ドカンという爆発音を聞いたこととの前後関係は、その後の供述では全く曖昧になつており、また持田方で荷物を受け取つた相手が女であつたか男であつたか、原告と会つてから何処に立ち寄り何をして何時に帰宅したか等の細かな点についての供述に変遷が見受けられること、渡辺は当日一日中仕事をしたうえ忘年会で普段の酒量の倍近い七合程の日本酒を飲んで午後一〇時過ぎに帰宅して寝たところ、家人に「持田さんの家が火事だ。」と起こされて飛び起きたこと、渡辺の最初の供述調書(乙第七二号証)が作成されたのが本件火災後約二か月経過した昭和四〇年二月六日のことであることに照らせば、渡辺の本件火災当日の記憶が、供述時においては既にかなり曖昧になつていた疑いも十分にあるといわざるを得ない。しかも、<証拠>によれば、渡辺が見た持田方に水を放つた消防士らしき者とは、宇野三吉と守田忠三郎であると認められるところ、守田忠三郎は、「火災を知り玄関で身仕度をしている時停電になつた。停電後約三分して家を出、約三分後に現場に着いたと思う。」旨供述しており、また宇野三吉も、「はつきりした時間は判らないが、一〇時四〇分ごろホースを引き、最初は現場入口前に並んでいるドラム缶に向け放水し、その後放水箇所を持田方にかえようとしている際、民間人である消防団の人に手伝つてもらい筒先を預け、持田方へ放水を始めた。」旨供述していることに照らせば、前記渡辺の供述をもつて、原告と同人が言葉を交わしたのが午後一〇時四一、二分ごろであつたと認定することは到底できず、右言葉を交わしたのは前記ドカンという爆発音の後であり、早くとも午後一〇時五〇分前後であつたと認定すべきであつたものと思われる。

(か) 高智博が午後一〇時五四、五分ごろ、大石善堂方前で、本件火災現場から白永化方に向かう原告を目撃しているという点について

原告の友人である高智博が、別紙第二図面②の地点に所在する自分の工場から本件火災現場に向かつて自転車に乗つて走つている時、同図面①の地点において、本件火災現場方向から白永化方方面に歩いている原告と出会つたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>により認められるとおり、検察官は、これを一〇時五四、五分のことであるとし、かつ、このとき原告は、一〇時四一、二分ごろ本件火災現場で渡辺の前から姿を消した後徒歩で白永化方に向かつていたところであつたと認定し、同事実を、原告の前記アリバイ主張を覆し、岡田さと、渡辺の前記各供述と相俟つて本件放火後の原告の行動を明らかにする重要な事実として、本件起訴をなしているものである。そこで、検察官が右のように認定したことの適否を検討することにする。

<証拠>によれば、高智博は、「工場で仕事をしていたところサイレンの音が聞こえてきた。最初はたいして気に留めていなかつたが、三台目か四台目のサイレンの音を聞いた頃、時間にすれば最初のサイレンを聞いてから一〇分か一五分(丙第四五号証では五分か一〇分)位経つた頃、余りにサイレンの音が多いので自分も見てこようと思い、工場から自転車を出し、皆が走つて行く方向に、普通より少し速めに走らせた。そして、別紙第二図面①の地点で原告と出会つた。」旨供述(なお、丙第四五号証によれば、その際まだサイレンは鳴つていたとある。)しており、右出発の経緯は<証拠>によつても裏付けられるところ、<証拠>によれば、別紙第二図面②から①までの自転車走行時間は一分一五秒前後であると認められ、また<証拠>によれば消防自動車は午後一〇時三六分には出動を開始して本件火災現場に到着したのは最も遅いもので同四六分であつたことが認められるから、丙第四五号証の「高が原告と会つた際まだサイレンが鳴つていた」との供述に依拠すれば高と原告とが出会つた時間は午後一〇時四六分以前であつたことになるし、この点を措くとしても前記高の出発の経緯に照らせば高はサイレンが鳴つているときに出発したと認めるのが相当であり、したがつて、高と原告が出会つた時間は午後一〇時四七分以前ということになる。(この点と、<証拠>によつて認められるとおり本件建物から別紙第二図面①までは1.2キロメートル以上あり徒歩で約一三分かかることに照らせば、既に検討ずみの岡田さとが本件路地に目撃した人物は原告ではなかつたのではないかとの疑いも強いと言わざるを得ない。)

<証拠>により認められる通り、検察官は、関係各証拠を照らし合わせ詳細なる時間を推定し、その推定された時間を積み重ねて前記認定をしたものであるが、右推定にはそもそも多分に時間的誤差が伴うことが経験則上明らかであるところ、推定が何重にも重なると必ずしも結論として正確なものは期待しかねると言わざるを得ず、また、<証拠>によれば、高智博自身時間の点に弱いことを自認していることにも照らせば、右検討の結果をもつても前記認定を覆すに足りない。

もつとも、<証拠>によれば、高智博と出会つた時の原告の動静についての原告の供述は必ずしも一貫しておらず、その骨子となつている供述も、「サイレンに気付き火事を見ながら会社へ帰る」つもりで白永化方を出たというにもかかわらず、靴と間違えてサンダルを履き、白永化が見当らないのに眠つている幼い子供を残して黙つて家を出、しかも、途中で靴を履き替えるために引き返す等不自然な点が確かに多いものの、それだからといつて前記認定を覆えすまでには至らないし、また右各証拠及び前掲乙第一一三号証によれば、白永化方で寝ていたところサイレンの音で眼を覚まし大石善堂方先まで行つて再び白永化方に引き返そうとしていた時高智博に会つた旨の原告の供述と前記認定とは時間的に矛盾しないと言わざるを得ない。

(き) 証拠湮滅工作について

<証拠>によれば、検察官は、原告が本件火災の翌日金成起に対し東海産業の印章と約束手形六通を預けたとの当事者間に争いのない事実のほか、原告が寿司正店において金成起に対して「大沢チサに、警察が東海産業の借金のことを聞きに来たら、なにも判らないと答えるように云つてくれ。白永化に、火事の晩には自分は台所の流しのところに居たと言うように言つてくれ。」と依頼し、金成起の妻李春弘に対しても「うちの奴に警察が来ても、会社の借金のことはなにも知らぬと言うように言つてくれ。」と依頼したとの事実を認定のうえ、これらは所謂証拠湮滅工作に当たり、原告が本件放火をしたことを窺わせる重要な事実であるとして、本件起訴をなしたことが認められる。

そして、<証拠>によれば金成起及び李春弘がそれぞれ右のような供述をしていたことが明らかである。しかしながら、<証拠>によれば、本件火災以前から常々、原告が東海産業の印章とか約束手形とかを所持携行していた事実が認められ、同事実に照らせば、そもそも、原告が前記金成起に預けた印章及び約束手形を所持していることは原告が本件放火をしたという事実を認定するに当つて特に証拠価値もないものであるから、右預託をもつて証拠湮滅工作ということは到底できず、また伝言依頼についても、<証拠>によれば、これに沿う供述をしている金成起は本件火災について放火犯人として逮捕され原告と全く利害の対立する状況のもとで右供述をなし、また金成起の妻である李春弘は金成起の釈放当日にこれを供述していることが認められ、これに照らせば、右供述を措信するについては十分慎重に検討する必要があるところ、<証拠>に照らせば、これを尽くさずそのために安易に前記供述を措信したと言わざるを得ず、また、仮に右のような「伝言」が必要であれば原告自らいくらでもなし得たはずでありわざわざ金成起らに頼む必然性がないことからも、前記認定はそもそも相当とはいえない。

(く) 疎開工作について

別紙物件一覧表記載の物が本件火災により焼失せずに残存していたことは当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨によれば、検察官は、これらの物は本来本件火災により焼失するのが通常であるから、右物件の残存は、計画的放火に先立つての疎開工作と評価すべきであるとして本件起訴の一資料としていることが認められるが、右物件は約束手形を除けばいずれもあるいは特段の価値がなく、あるいは容易に再製可能なものであつてわざわざ疎開工作を施す必要性のあるものとは解せられず、また約束手形は既に認定のとおり原告が本件火災前にも通常所持携行していたものであることから特別視することはできず、したがつて、これらの残存をもつて計画的放火を推認させる疎開工作と評価するのは行き過ぎであると解せられる。

(け) 逃走準備について

本件火災当日、本件建物内に居た原告の家族が寝巻ではなく昼間の普段着のままで就床したため昼間の服装で逃げ出し又は焼死していることは当事者間に争いがないところ、<証拠>により明らかなとおり、検察官は、これは大沢チサが当夜原告が階段下の空紙袋に放火することを知つていたので、これに備えて待機し、何時にても避難できる用意をしていたとの事実を推認させる重要な間接事実であるとして本件起訴をなしているが、<証拠>によれば、原告らの居室にはテレビがあることから、終業後従業員が右居室において就寝前テレビを見る習慣がある等、同居室は公私の別なく従業員が出入りする状況にあつたこと、原告の子供達は幼年であつたこと等から、原告の家族がいちいち寝巻等に着替えることなく昼間の普段着のまま就寝することは、同人らの平素の生活様式からすると何ら異とするに足りないことが認められ、同事実に照らせば右事実をもつて放火行為の計画を裏付けるものとは解せられないし、本件放火の具体的計画を何時どのような方法で大沢チサが知つたのか、それなのに何故二名の子供の生命を失い大沢チサも重傷を負うという事態が生じたのかの点について、本件全証拠中本件起訴までに収集された全証拠によつても、これを合理的に説明できるに足りる事実は認められないから、検察官による前記評価は余りにも無理なものと言わざるを得ない。

なお、本件火災当日、本件建物内原告ら居室の雨戸が開いていた事実は当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨によれば、検察官は、右事実をもつて、大沢チサは予め本件火災の発生を知りベランダの下に置かれているドラム罐を利用してベランダから逃げることを考え、その際便利なように、本件当夜に限りこれを締めなかつたのであるとし、原告による計画的放火を推認させる重要な間接事実であるとして本件起訴をなしていることが認められるが、<証拠>によれば、検察官に対して右雨戸は平常閉められていた旨供述していることが認められる中村錠太郎は、<証拠>によつて認められるとおり本件火災により重傷を負つたものであり、右供述当時「放火犯人」として逮捕等されたうえ処分保留のまま釈放されていた原告に反感を抱いていることも通常考え得ることからその信憑性を慎重に検討すべきところ、この点について他の取調べをしなかつたため、<証拠>に照らせばその点断定できなかつたにもかかわらず、安易に前記認定をしてしまつたものといわざるを得ず、この点断定できないとすればこれをもつて逃走準備と評価することも到底できない。

(こ) アリバイ主張について

原告が、所謂アリバイとして請求の原因4(二)(イ)(1) (さ)記載の事実を主張していたことは当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨によれば、検察官はこれを虚偽であると認定して本件起訴をなしたことが認められる。この点に関し、<証拠>によれば、刑事第二審判決は、アリバイ関係については、ほぼ原告の弁解どおりの事実を認定しうる旨判示している。

そこで、検察官がこれを虚偽であると認定したことの適否について検討すると、<証拠>によれば、本件起訴時には書面として完成されていなかつたものの、その内容については直接口頭の説明を受けていたと認められ、右と同様の意見を導いている<証拠>は、そもそもポリグラフ検査は、その検査方法の特質上犯行時以外の機会によつて知つた事実によつても犯行時に認識した事実によるのと同種の反応を示す為、質問事項につき他の機会に知り得た知識のないことがその結果の正確性の確保に不可欠であるところ、本件の場合、放火容疑による勾留の終了後という原告に対する取調べが相当程度行われた後に行われているので必要な検査条件が満たされていたとは言い難く、現に後日作成された<証拠>によれば、本件ポリグラフ検査担当者すら、本件の場合罪識を明らかにする決定的な検査質問を設定できないので、本検査では虚偽の可能性の有無を考察するに留まり明確な結果を引き出すことはできない旨報告しているのであるから、同検査結果により直ちに前記原告のアリバイ主張を虚偽であると断定することは到底できず、検察官としては口頭による報告を受けた段階であつてもその段階で起訴しようというのであれば右の点を十分確認すべきであつたと解せられる。

また、既に検討したとおり、岡田さとの供述も渡辺の供述も高智博の供述も、原告の右アリバイ主張を虚偽と断定するに足りる証拠ではない。

もつとも、<証拠>によれば、白永化は、結局において、自分が寝る時には原告も寝ていたが、サイレンに気付いて自分が二階に上がつた時原告が寝ていたかは判らず、火事を見て下へ降りて来たとき初めて原告がいないのに気付いた旨供述しているのであつて、原告のアリバイを完全に裏付けるものではなく、また本件全証拠中本件起訴までに収集ずみの証拠中にもこれを裏付けるものもないが、これを否定するに足りるものもない。

(ウ)  以上個別的に検討してきたことを総合して考えるに、原告には本件建物に放火する一応の動機があることは認められるものの、本件建物二階で就寝中の家族に何らの逃走措置を講ずることもなく、敢えて本件建物西側階段下に点火するだけの動機として十分なものとは言い難く、岡田さとが本件火災発生直後の午後一〇時三五、六分ごろ別紙第一図面②付近に原告らしい人影を見たことは認められるものの、これが原告であつたと認めるに足りず、原告の主張するアリバイも、白永化が火事を見に二階に上つた僅かの隙に原告が目を覚まし、さしてあわてる事情もないのに白永化の居所も確かめぬまま眠つている幼児を置いて黙つて家を出、そのまま本件建物に帰ろうと思つたにもかかわらず靴と間違えサンダルを履いて出てしまつたため途中から履き替えに戻つたという不自然の感が否めないものではあるが、これを否定するに足りる事実も証拠もないというのであるから、かかる証拠資料によつては判決において有罪と認められることは期待できなかつたといわざるを得ない。したがつて本件起訴は違法と言うべきことになる。

(五) 本件公訴維持、控訴申立とその遂行

本件全証拠によつても、検察官において、本件起訴後原告について有罪と認める判決を期待し得るに足りる新らたな証拠を得たとの事実は認められないので、右(四)で検討したのと同様の理由で、本件公判維持及び控訴申立とその維持も違法であると解するのが相当である。もつとも、検察官が第一審において違法・不当な捜査によつて収集・作成された証拠を公判に提出したとの事実及び第二審において裁判官の民族的偏見をあおるため証拠を提出したとの事実は、本件全証拠によつてもいずれもこれを認めるに足りず、証拠開示要求を拒否したことも違法とするに足りる事実ではない。

(六) 以上検討したところにより違法とされた検察官の各行為が国家賠償法第一条の規定にいう「国の公権力の行使にあたる公務員がその職務を行なうについて」した行為であることは明らかであり、それについて検察官に過失があつたものと推定されるから、被告国は右違法行為により原告の被つた損害を賠償する責任がある。

三  損害

1請求の原因5(一)(1)の事実中原告が、妻子らの居住する本件建物に放火した被疑者として逮捕・勾留され、同事件の被告人として起訴されたこと、合計九八日間に亘つて身柄を拘束されたこと、刑事裁判の第一、二審を通じ計五一回の公判が開かれ、多数の証人等の証拠調べが行われた結果第一、第二審共無罪の判決があつたことは原告・被告国の間に争いがなく、<証拠>によれば、本件が新聞等により全国に報道され、また六年数か月もの間被疑者又は被告人の地位に立たされたことによつて原告が社会的名誉を傷つけられ精神的苦痛を被つたこと、原告本人尋問の結果によれば、工場の再建資金としての本件火災保険金も刑事事件が確定するまでは受領できずこれにより原告が精神的苦痛を被つたことがそれぞれ認められるところ、既に認定した検察官の違法行為の態様、程度と、前記のとおり原告は検察官が原告の嫌疑を生じさせるのではないかと考えうる殆ど全ての事実を、他の証拠によれば明確に認められるものも含めて否認し、かつ、初動捜査時、白永化方を出た際の事情につき虚偽の事実を述べるなど、検察官の抱いている疑惑を自ら拡大させた感もあること等、本件にあらわれた諸般の事情を総合すると、原告の被つた精神的苦痛に対する慰謝料の額は、原告において自陳する既に受領した補償金合計二二万九七五〇円のほかに三〇〇万円とするのが相当である。

2また同5(二)の事実中原告が刑事第一審で牧野内武人ら五名の弁護士を、第二審で牧野内武人ら七名の弁護士を弁護人としてそれぞれ選任したことは原告、被告国間に争いがないところ、本件刑事事件の事案の内容に照らせば、原告が同刑事事件につき私選弁護人を付けたことはその権利保護のためやむを得なかつたというべきであり、同事案の内容、審理経過、判決結果等を斟酌すると、原告が被告国に対して前記不法行為と相当因果関係に立つ損害として賠償を求め得る刑事弁護費用の額は二〇〇万円とするのが相当である。

四  結論

以上の次第であるから、原告の被告国に対する本訴請求は五〇〇万円及びこれに対する右認定の全不法行為の日の後である昭和四八年三月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容しその余は失当であるからこれを棄却し、原告の被告東京都に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第二九条本文の規定を適用し、仮執行の宣言は付さないこととしてその申立を却下し、主文のとおり判決する。

(山田二郎 西理 川口代志子)

別紙(一)

被疑事実

被疑者は、昭和三八年一二月ごろより東京都足立区本木町二丁目一六七九番地所在木造二階建延面積257.4平方メートルを所有し、同所において同建物に多額の普通火災保険を付し、椎熊定和三五歳とともに東海産業株式会社の名称でビニール加工業を経営していたものであるが、会社の運営資金に窮し、ついには土地及び家屋も他人の名義に登記され、更に工員の給料も支払不能状態に陥り、これが金策を思い悩んだあげく、昭和三九年一二月一一日ごろ同建物に放火して右保険金を受取ることを決意し、昭和三九年一二月一一日午後九時ごろより同日午後一〇時三五分ごろの間、東京都足立区本木二丁目一六七九番地自己経営の工場内階段付近において同所にあつた紙片その他屑類に火を放つて一時に燃えあがらせ、よつて現に大沢チサ他一二名の住居に使用していた前記工場併用建物一棟138.6平方メートル及び隣接の作業場兼倉庫一棟118.8平方メートル並らびに野口慶司、持田連三他六名の住居に使用せる建物二棟一〇六平方メートル、合計363.4平方メートルを順次焼燬したものである。

別紙 (二)

被疑事実

被疑者は、椎熊定和と昭和三八年一二月より東京都足立区本木町二丁目一六七九番地東海産業株式会社の代表取締役としてビニール原料の加工のため材料の受入れ、加工、製品の保管、納入等の業務全般を担当しているものであるが、

1 椎熊定和と共謀して、昭和三九年一一月一五日及び同年一二月一一日ごろの間、埼玉県南埼玉郡蓮田町末広一の六の一吉田電線株式会社生産課長古賀定夫五〇歳より依頼を受けて預り保管中のビニール原料(コンパウンド)約二五〇〇キロ時価約三一万二五〇〇円相当を資金難のため東京都荒川区日暮里町二丁目二七七番地合成樹脂再生原料商国兼刑部四五歳より昭和三九年一一月三〇日現金二〇万円及び同年一二月八日現金二〇万円合計四〇万円を借用したその担保として右預り保管中のビニール原料を交付し、ほしいままにこれを横領し、

2 昭和三九年一一月ごろ前記東海産業株式会社が製造保管中のビニール原料八四〇キロ時価一〇万六〇〇〇円相当をほしいままに東京都足立区本木町一丁目九一八番地白永化方物置に運搬隠匿して着服横領し

たものである。

別紙 (三)

公訴事実

被告人は、東京都足立区本木一丁目一六七九番地所在、東海産業株式会社の代表取締役として、ビニール原料加工業を営んでいたものであるが、多額の債務を負い同会社の経営に窮するや、同会社の工場兼住宅及び同工場内の機械類等に一八八〇万円の火災保険がかけてあるのを奇貨とし、小林茂春外一〇名が現在する右工場兼住宅一棟(木造スレート亜鉛メッキ鋼板交葺、一部二階建、建築面積二五七平方メートル)に放火しようと決意し、昭和三九年一二月一一日午後一〇時三三分頃、右工場西側階段下付近に積んであつたセメント袋大の紙袋約三〇枚に点火し、右工場兼住宅建物に燃え移らせて放火し、よつて右建物一棟及び前同番地所在、野口広司外一名が現在する住宅一棟(木造平屋建瓦葺、建築面積21.28平方メートル)前同番地所在、持田連三外四名が現在する住宅一棟(木造二階建瓦葺モルタル塗、建築面積八六平方メートル)等を焼燬したものである。

物件一覧表

物件名

差押場所等

備考

原告の実印

白永化方

印鑑証明書二通

昭和三九年一二月一〇日付のもの

封書八通

大沢伝三郎発東海産業宛、昭和三九年一二月三日付等

名刺五枚

原告親族会住所録

約束手形一〇通

金銭消費貸借契約公正証書謄本

債務者原告、債権者足立信用金庫

契約書

小口扱貨物通知書

白永化方

昭和三九年一二月二日付大沢伝三郎が原告に宛てたもの

大沢名義の木製印

椎熊順子

本件火災で焼死した秋子の太陽生命との生命保険契約に用いた印章

印鑑二個

約束手形九通

金成起方

普通預金通帳一通

東海産業のゴム印二個

担保預り書

伊藤定和

電話加入用登録請求書

約束手形写

担保手形預り証

普通預金通帳

未使用小切手

伊藤定和

発送証明書

名刺一枚

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